脳梗塞と其の後1

この記事は、脳梗塞発症経緯と後遺症、障害認定、障害年金など社会保障などを経験をもとに綴ります。クリティカルに診断が付きエビデンスがあり医師が所見を示せない場合は、参考になるかもしれません。

 

まずは、自分の病歴の説明から書きます。

2017年12月 右脳放線冠アテローム梗塞発症、左半身随意運動麻痺。

急性期、回復期のリハビリを経て退院。

小指サイズの損傷でしたが、走る(5Km)泳ぐ(25m)が出来るレベルに回復。

会社に復帰。(外回りのリホーム営業職)

スーツケースを杖代わりに、多少足引きずるが、歩けたのとコミュニケーションは取れたので、社会復帰。半年しないうちに目眩が出てきて、目眩外来を片端から受診所見なしと言われ続けて

 

2020年6月転倒して腰椎の圧迫骨折で入院。ここで、倒れ方が不自然とMRIを撮られドーソンフィンガーというパターンが映り多発性硬化症の疑いで神経病院に検査入院するも、多発性硬化症が女性に多いこと年齢的に急速な病状進行は可能性が低いことからリスクのある。髄液検査はせず。脳梗塞をしているので血液サラサラの薬を常用しており、医師の判断で診断つかず。

この段階で手漕ぎボートで立ち上がったときの浮遊感。(深部知覚障害には言及されず。)

2021年12月に2度目の脳梗塞 右脳内包後脚 ラクナ梗塞 左半身随意運動麻痺。

急性期、回復期のリハビリを経たが以前のようには戻らず。

2度の錐体路疾患で錐体路症状もつよくなり、錐体外路疾患(パーキンソン)多系統萎縮症も疑われる。

この時点で180日のリハビリ期間は過ぎているので保険適用のリハビリはできず。

2023年9月コロナ罹患1月動けず、筋力低下(5kg減)フレイルを恐れリハビリ病院で週2のリハビリ。そこでTMS治療とリハビリを知り204年4月2週間の入院。深部知覚に言及、自律神経の検査で血圧と心電図のホルター24h検査をする。

これがおおまかなストーリーです。

おいおい、更に掘り下げて(障害年金のことなども)書いて行きます。

今回はここまでです。

 

脳疾患病棟の現実

恐らく、体験しなければ、理解しがたい世界です。患者自体も脳に障害を持っており、伝えることもままならない人がいます。自分は運動麻痺で左半身麻痺なので、まだなんとか考えをまとめて伝えられますが、脳障害を起こした人は多かれ少なかれ高次機能障害を抱えているので健常時には、考えられない行動を取ります。損傷部位によっては、感情をコントロール出来なっくなったり、言葉をうしなったり、排泄がコントロールできなかったりします。これに直接関与するのが看護師です。

自分が体験した一部を紹介したいと思います。

夜勤の看護師は、人手も減り、患者は待ったなしのため、看護師は運動会状態です。

尿漏れで交換している最中に更に放尿する人もおり、それの処理が済んでも隣で排便しでいる患者もおり、大惨事。災害現場の処理をする人のように一つ一つ対応していく様は、カーテン越しにもわかり、関心しました。また、何度もナースコールを押下人もおり、てんやわんやです。そんな中でも不謹慎かもしれませんが、耳の遠い方とのやり取りがコント(志村けんのコント)で、それがてんこもりのときは、笑いすぎて寝付けません。ナイトサファリと称した人もいました。そのような状況ですから、呼ばれても直ぐには患者の処行けない場合があります。それに腹をたて排泄した便を投げるなんて暴挙に出る患者もいます。脳疾患はハチャメチャですが、心臓疾患の病室は生死が隣り合わせのため比較的静かです。自分が体験したのは、カテーテル手術前日、隣の病の室で呼び戻す看護師の声、洒落にならないです。別の意味で寝れなくなります。

退院したてなので記憶に新しい、ある日病院の出来事を書いてみました。

 

看護師さんには感謝です。