脳梗塞の其の後2

脳梗塞を発症し左半身の麻痺になるまでの経緯を書きたいと思います。

およそ10前、昭和天皇陛下の開胸手術が行われた年の2012年に動くと胸が苦しく、近くのクリニックで治療を受けていました。咳もあり風邪の症状に酷似しており、最初は風邪として治療していましたが、下の血圧が高く、医師がニトロの舌下錠を処方し念のため聖路加病院に予約を入れて検査待ちをしていましたが、大きな病気の経験がないため、大丈夫だとたかをくくっていました。そんな自分でも動くことができなくなる症状が出始め、悠長にしているわけにはいかないと思い直ぐに診てもらえる病院として女子医大を受診し、外来診療だけでは診断つかなかったのですが、その時の担当医が心臓の場合は一刻を争うと、飯田橋の映像検査の病院をすぐに手配して、翌日で検査をすることになりました。そこで、99%狭窄と診断され、女子医大が満床のため、東大病院に入院することになりました。女子医大飯田橋映像病院、東大の医師の機転と迅速な連携により一命をとりとめました。ここで、関与された、医師、技士の方々には感謝しかありません。ここが、循環器疾患の起点になります。動脈硬化を最初に認識した時点です。冠動脈にステントをいれたことで、何事もなかったように過ごしてまいりました。ただ一つ降圧剤による貧血以外には…時が過ぎ、血圧も脂質も問題なくいましたが、降圧剤の貧血が厳しく、当時の掛かり付けの医師の元で降圧剤を止めました。其の後3年以内に脳梗塞の最初兆候がありました。一時的のためTIAの症状とは認識できず。病院でも診断つかず。更に3年経過して最初の脳梗塞を発症しました。

心臓の時は食生活が起因だと理解できる。心当たりはありましたが、TIAの発症原因は、健康診断や食生活では心当たりありませんでした。動脈硬化で蝕まれた体が気温気圧の変化に対応出来ずに兆候が発現したと思うしかありませんでした。外回りの営業の為歩く距離時間もあり運動不足は考えにくかったです。

この時、TIA閃輝暗点を発症していた。最寄りの眼科では、目の病気ではないので脳外科受診を勧められ、そこではのCTでは、わからず、総合病院に紹介状を書いて頂き受診するも、そこのMRIでも細かな脳梗塞跡が後頭部の視覚に関係した所にあると診断されもし再発するようであれば、入院して血液サラサラの点滴療法をしましょう程度でした。それからおよそ3年後に突然症状が発現。最初はパスカードが持てなくなり、ふらつき疲れから来ていると思いました。

その日は、掛かり付けの病院の休診日でもあり、早く帰宅して休めば回復すると考え、早めに帰宅し就寝翌朝、上手く起き上がれないことに気づき、そのまま、開院のタイミングを見計らい病院へ向かいました。今おもえば、この時点で救急車を呼ぶべきでした。

病気も狭心症の時位しか経験していないので過信していました。